2020.8.15 | 投稿者:

赦しには力がある。

でも、生きているとどうしてこんなことが赦せようか・・なんでこんなことが私に起こるのか・・ひどい、不条理だと思うようなことがあることも事実である。いろいろな嘆き、叫びがある。まったく赦せるわけがない・・ということもある。

人の無理解や愛のない態度を受けて傷つくことだけでなく、人の弱さや醜さを見ることによって・・失望し・・つまずき・・祝福ある歩みや愛し合うこと、信じる心の力を失っていくこともある。どうせ人間なんてこんなものだ、人生とはこんなものだ・・みたいな・・

聖書の中に出てくるアベルという青年は、神様の前に正しい人で敬虔に生きる立派な人であった。しかし兄カインがそんな弟に嫉妬を燃やし、野原に誘いだして殺してしまう。しかもその後、神様に弟アベルはどこに行ったのだと問われた時、「知りません。私は自分の弟の番人でしょうか・・・」などと、後悔や反省すら見られない。

なんとひどい話であろうか・・こんなこと許せないと憤りを覚える。
アベルはなんの非もないのに無惨に大切な命を失ってしまった・・。
そして聖書にはその無惨さを「弟の血が、その土地から叫んでいる・・」と表現されている。

しかし聖書には「アベルの血よりも、優れたことを語るイエスキリストの血」のことが書いてある。

なにか許せないような罪を見た時にも・・人の弱さを見たときも・・、失望してしまうのではなく、キリストに望みをおくものでいたい。

アベルの血は、人の正しさ、゛訴えの血゛であり゛のろいの血゛でもある。

でも、イエスキリストの血はそれに勝る゛赦しの血゛゛解放の血゛゛神の力の血゛である。それは近いようで、ズレがあり、前者は自分を縛り、人を祝福しない。イエスキリストは私たちを愛するがゆえに、人々に裏切られ嘲られ何の罪もないのに罪びとのように十字架で血を流して私たちへの愛を成し遂げて下さった。キリストの血潮の力のみが呪いを祝福に変え、嘆きを踊りに変える。

あなたの心に希望を与えるのである・・・希望の道を歩こう・・。

『さらに新しい契約の仲介者イエス、それにアベルの血よりも優れたことを語る注ぎかけの血・・』ヘブル12章24節

『光は闇の中に輝いている、闇はこれに打ち勝たなかった』ヨハネ1章5節

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